メモ

クワスパラドックスが関わる2つの問題。
(1)ある行為を規則によって正当化しようとすると、その規則を適用する仕方に関する規則も必要になる、という無限後退が生じるため、正当化はどこかで打ち切らなくてはならない、という問題。何かの根拠を探そうとする際必ずぶつかる極めて一般的な話。あるいは「以下同様」の問題。
(2)自然数の無限性に関する問題。例えば+のような関数は2つの自然数の有限個の組についてしか計算したことはないのにどうしてその関数を把握していると言えないのではないか? 無限のデータを含む対象をいかにして有限のデータしか持ち合わせていない人間が把握していると言えるのか?
これら2つの問題を切り分けるために、(1)のみに関わる思考実験を考えることはできよう。例えばプラスやクワスを1桁の自然数同士にのみ定義された演算として考えた場合や、グッドマンのグルーのパラドックス
(2)についてクリプキは関数の値が書かれた無限に続く表というものを我々は持っていない、ということを述べている。これに対する解答としては、そのような表を持っていなくとも、有限長のプログラムによって+という関数は記述可能なのだから、そのようなプログラム(あるいはそのプログラムによって実装されるアルゴリズム)を我々は把握しているのだ、という解答はなぜありえないのか?