遊んでた。スタバでも行こかな。

そうか、人は構ったり構われたり、甘えたり甘えられたり、つまり他人といちゃいちゃしたくなることがあるんだ。 何度目かの気付き。

ま、今の僕は衝動を待っているだけだよ。もうそろそろ来るんじゃないかな。保証はできないが。

そういえば「なんで東なんかに騙されたの? 若気の至り?」みたいなことを誰かに聞かれてた気がするので答えておこう。 一言で言えば『存在論的、郵便的』という本に魅了されたから。特に騙されたとは感じていない。とはいえ、それはその頃の僕が柄谷その他…

>人類(僕を含む)

「駄目ですね。全然、脳味噌を使っていません」 (『すべてがFになる』文庫版P.46) 「この世界っていうのは、人間っていうのは、もっともっともーっとスゲエもんのはずなのに、お前らは一体なんでサボってやがんだ!」 (『クビキリサイクル』文庫版p.275)

2003年の僕はトリヴィアルなことしか語っていなかったが、思考してはいた。

読みやすい、というのは、『青色本』はある程度議論がリニアに繋がっているから。あと『哲学探究』は仮想の対話者がしょっちゅう登場してくるためウィト本人の持論が何なのか(スタイルに慣れるまでは)わかりにくいということがある。

『青色本』は『哲学探究』に比べると断然読みやすいな。

眠れないなー。

ここ数年でも思考がどんどんあふれ出ることは稀にあったんだけど、大体数日以内に体調悪くして脳がシャットダウンしちゃうのが問題ではあったね。

僕は勝手に救われるか死ぬかするので君も勝手にすればいいよ。

人生という名のスタイリッシュノンストップアクションRPG……

何読もうかなー。

記号の意味はその記号を含む論理式という文脈において問わねばならない、というある種の文脈原理。

ちなみに昔「体を壊す」と表現された事態の多くが今は「メンヘる」と呼ばれます。エピステーメーの変遷。

僕も体を壊して幾星霜、なので皆病気になればいいのに、とときどき思わなくもないけれど。だからどうということもない。

いらいら。

うーん、ネタで言ってたことがマジに受け取られるということは1つの勝利とも言えるはずなのに、どうしてそれが受け入れがたい事態のように思われて、そげぶしたくなるのか。

マックにでもいこかな。

コミュニカティブになりつつあるな……。

http://twitter.com/#!/lowen_lowe/status/116884166028701696 "美少女天皇"で検索したら2番目に昔僕の書いたものが。なつかし。

http://twitter.com/#!/huyuta/status/116876000058548224 いい子ほどめんどくさい人にばかり好かれる……。

欝が過ぎたら軽躁になるんだろーか。

(´ω`)←この顔文字とどう向かい合うべきか日々考えている。

図書館はそれほど好きな場所ということもないけれど、「僕はここにいてもいいんだ」感に関してはやはり比類ないものがある。

「センスエリート?へーすごいね、帰っていいよ」 本来そういうもの。

やはり数学書と哲学書だけ読んで過ごすのはあまりにも享楽的だ。

もっと気温が下がって欲しい。まだ暑い。

涼しい。素晴らしい。

メモ

クワスのパラドックスが関わる2つの問題。 (1)ある行為を規則によって正当化しようとすると、その規則を適用する仕方に関する規則も必要になる、という無限後退が生じるため、正当化はどこかで打ち切らなくてはならない、という問題。何かの根拠を探そうと…