檻と救済

自明なことしか書けず、誰かを啓蒙する気もないなら、何かを書くことに何の意味が? 失語症者のリハビリテーション


本質的なことを書こうとするのはしばしば簡単かつ安易なことだ。
にもかかわらずそれ以外に書けることも書きたいこともない。


言語という檻、肉体という檻、脳髄という檻に閉ざされている僕たちにどんな救いがありうるのか?
救われていない現在と救われている未来。
救済という概念が現在の否定と未来への希望から成り立つ以上、時間概念があらかじめ前提されている。
神の視点から全ての時空を見渡せたとしたら(永遠の相の下に世界を見るとしたら)、そのとき救済という概念は意味を持つだろうか?
ナンセンスだ。
早く惨めに死ね。