うみねこ対談補遺――ゲーム的リアリズムとかあれこれ

『5M』に載った「誌上読書会『うみねこのなく頃に』―竜騎士07 はどこにいる?」は7つの節に分かれてます。それぞれの見出しを挙げると、

・『ひぐらし』の先へ
・リアリズム&ジャンルの操作
・読者と作者の関係は?
ゲームマスターとしての竜騎士07
・箱庭の設計
ゲーム的リアリズムを超えて?
・『うみねこ』は美少女ゲームの正統

という感じです。
まあこの見出し見ただけで内容が大体推測できる人もいるかもね。「あ、このジャンル云々は福嶋亮大のうみねこ論のパクリだな」、とか、「ここは魔王14歳の人のあれ からだな」とか(実際対談中で言及させていただいてます)。


ま、パクリとか言わないでください。僕は割と既存の議論との接続を意識して語ったというところがあるので、オリジナリティに欠けるところがあるかもしれませんが、少しでも発展させられた部分があればいいな、という感じで。
あ、「『うみねこ』は美少女ゲームの正統」と言ってる人は誰もいないだろうから、そこだけはオリジナリティに自信がありますよ!


あと、「密室や暗号の謎や今後の展開についての推理は2chにいくらでもあるからここでやっても仕方ないよねー」とは思ったのだけれど(いや、うみねこwikiは楽しく読ませていただいてるんで全然否定とかしませんが)、やっぱり結構今後の展開については語っちゃってますね。
まあそういうとき「ああ、竜騎士07の掌の上で踊らされているな―」と思うわけです。まさにそのことが「読者と作者の関係は?」及び「ゲームマスターとしての竜騎士07」の節で問題にされているわけですが。
ただ『うみねこ』のこの先の展開については、後期クイーン問題量子力学とからめて「“ミステリ対ファンタジー”という構図が今後崩されるだろう」、「単純にミステリが勝利するラストにはならないだろう」と語っている人は既に大勢いるので、もうちょい発展的な話をしようとはしたかな。


あーそれから一応重要なのはゲーム的リアリズムについてか。とりあえず現時点では東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』と接続させて『うみねこ』を語る人がほとんどいないので、そこについて語っておく意味はあるかなー、ということで結構対談の中で重点が置かれてます。
ただ、前島賢氏が既に指摘しているように(『探偵小説のクリティカル・ターン』所収論文参照)、東浩紀のいう「リセット可能な世界の中での一回性」というようなループものならではのテーマ性を竜騎士07の作品に読み取ってもあまり実りはないでしょう。『ひぐらし』のあれはどう見ても後付けだし、テーマ自体ほんとどうでもいいものだし。
けれど後付けでなんでも取り入れてしまえるところが竜騎士07のブリコラージュ的作家性として評価すべき点だとはいえるでしょう。みたいな話もちょっとしたような気がする。
そういうわけで東のゲーム的リアリズム論をそのまんま『うみねこ』に当てはめても仕方がないわけですが、ループという構造自体が生む効果については色々語る余地があるわけです。それについては、ゼロアカ道場第三次関門の課題における村上裕一氏のループ論に刺激されたりして結構語りました。
そこが見所と言えば見所かな。多分「ゲーム的リアリズムを超えて?」の部分は『うみねこ』をプレイしてなくても読めると思うので、「ゲーム的リアリズム」という言葉に反応してしまうような方はちらっと読んでみてほしいですね。


まあとりあえずそんなところで。色々と話題を発展させてくれた夜鷹明(id:ilidim)には感謝感謝。